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一般社団法人 沖縄県腎臓病協議会

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腎臓病の基礎知識

移植を考えている方

こちらでは腎臓移植ついて書かせていただきます。どうぞご参考になさってください。

 

腎移植は、ほかの人の腎臓を体の中に移植することで、腎臓の働きを回復させる治療法で、末期腎不全の唯一の根治療法です。脳死・心停止された方から腎臓提供される献腎移植と、親族から腎臓提供される生体腎移植の2つの方法があります。

腎移植では、透析治療からの解放、腎不全の合併症からの解放、食事制限の緩和、より安全な妊娠・出産が可能となる、透析療法よりも生命予後がよいなどの利点があります。一方で、移植した腎臓の働きが悪化し再び透析が必要になったり、拒絶反応を防止するために免疫抑制剤を服用し続ける必要があったり、免疫抑制剤の副作用が起こるなどの問題点もあります。

2012年度末では献腎移植が192件、生体腎移植が1,413件でした。献腎移植を待つ移植希望登録者数は2014年2月末現在で12,840人なので、年間1%強の人しか献腎移植を受けられていないのが現状です。現在、移植手術の成績は格段に進歩を遂げていますが、腎臓提供者(ドナー)の存在や、提供された腎臓との相性が合うことが大前提の治療法であるため、腎移植は誰でもすぐに受けられる治療ではありません。

献腎移植

献腎移植は、脳死後または心停止後の方で、生前に書面で本人の臓器提供の意思がある場合、もしくは本人の意思が確認できない場合でもご家族の承諾がある方から臓器提供されます。

 

 

移植希望登録の手続き

献腎移植を希望する方は、透析治療を受けている施設に相談し、移植を受けたい施設を受診します。
その移植施設を通じて公益社団法人 日本臓器移植ネットワークに登録する必要があります。地域によって登録手続きが異なるため、日本臓器移植ネットワークにお問い合わせください。
(公社)日本臓器移植ネットワークのホームページには詳しい手続き方法や全国の移植施設のリストなどが掲載されています。
公益社団法人 日本臓器移植ネットワーク電話:03-5574-7707
FAX:03-5574-7708

レシピエント選択基準

腎移植のレシピエント選択基準は、血液型、提供施設と移植施設の所在地、HLA型ミスマッチ数、待機期間などが考慮され、選ばれます。16歳未満の小児待機者には14点が、16歳以上20歳未満には12点が加算され、これらの合計ポイントが高い順に優先されます。また、臓器移植法の改定で臓器提供者が自分の親族(配偶者、子、父母)へ優先的に提供を指定することも可能となりました。
2012年末までに国内で腎移植を受けた3,053名(膵腎同時移植119名を含む)で、2002年1月のレシピエント選択基準改正後の登録日から移植日までの平均待機期間(膵腎同時移植を除く)は5,295.4日(約14年6か月)でした。

移植手術について

図 腎臓移植手術の模式図
(日本腎臓学会、日本透析医学会、日本移植学会、
日本臨床腎移植学会編 腎不全の治療選択 より)

腎移植の手術は、自分の腎臓は原則としてそのまま残して、提供された腎臓を骨盤(下腹部)の左右どちらかに入れます。その場所を走る大きな動脈・静脈と提供された腎臓の血管をつなぎ、さらに提供された腎臓に付いている尿管を自己の膀胱につなぎます。
手術は全身麻酔下で行われ、平均4時間程度です。術後の経過にもよりますが、入院期間は1か月前後です。
献腎移植では移植後の尿の排泄が生体腎移植よりも遅く、術後にも透析が必要な場合もあります。

先行的献腎移植について

透析治療を始める前に移植することも可能であり、先行的腎移植と呼びます。先行的腎移植は透析後の移植と比較して、生着率や生存率において優れているとされています。欧米諸国では先行的献腎移植も標準的な治療法です。
日本では、先行的献腎移植の希望申請はごく少数であったため、これまで明確な申請受理の基準がありませんでしたが、日本腎臓学会、日本移植学会、日本透析医学会、日本臨床腎移植学会、日本小児科学会の5学会が協議を重ね、2013年10月に先行的献腎移植の登録基準を変更しました。
先行的献腎移植を希望する方は、移植施設、あるいは治療を受けている施設の医師に申請用紙記載と提出を依頼してください。

移植に関する情報

移植に関する情報は次のサイトなどにも掲載されています。
公益社団法人 日本臓器移植ネットワークhttp://www.jotnw.or.jp/
NPO法人 日本移植者協議会http://www.jtr.ne.jp/
国際移植者組織 トリオ・ジャパンhttp://www.sepia.dti.ne.jp/trio/

移植者の声

3回目の連絡で移植 30年余りの透析から離脱

東京都 男性 56歳(移植までの血液透析歴31年)
私は2011年春に献腎移植を受け、31年間の透析治療から離脱することができました。高校1年生で腎臓病と分かり、大学4年生の春に透析導入となりました。透析の初期は、強い貧血と戦いながら「透析をすることは辛い、苦痛なこと」と日々感じていました。透析も30年近くなると合併症で苦労しました。将来、車椅子や寝たきりになった自分を想像することは、何よりもいちばん辛く、恐怖を感じました。
献腎移植の登録は27年くらい前に、当時の国立佐倉病院で行いましたが、登録しても移植できないだろうと漠然と思っていたことを記憶しています。

最初の献腎移植の連絡は2005年ごろでした。そのときは4番目の候補ということで実現しませんでした。ただ、連絡があったことで移植の可能性が少なからずあることを確信しました。
2回目の連絡は2010年の秋でした。腎臓の状態があまり良くないと説明を受け、お断りしました。場合によっては命に関わることがあると説明され、移植に少し恐怖感を持ちました。
そして2011年の春、3回目の連絡がありました。前回の経緯もあり、不安を持ちながらも移植を希望することを先生に伝えました。当初、3番目の候補でした。その後、2番目に繰り上がり、「本当に移植するんだ」と思うと、今までに経験したことのない緊張感が全身を走りました。

週末に連絡があり、週明けに移植の検査を行う予定で自宅待機をしました。この間、「長期間透析をしてきたので、本当に移植ができるのか」「拒絶反応や感染症は大丈夫なのか」「断ればよかったのではないか」「入院はどのぐらいになるのか」など、期待よりも不安が多く、気持ちが沈み、夜も十分な睡眠が取れませんでした。
月曜日の午前4時に緊急呼び出しを受け、術前の検査、透析を行い、午後3時30分から手術を受けました。午後10時30分ごろに手術は終わったようでしたが、睡眠不足もあり翌朝まで熟睡し、手術後というよりは朝までよく寝たというのが実感でした。目が覚め、落ち着くとすぐにドナーの方のことを考えました。当然、ドナーの方の情報はなく、想像するだけでしたが、ドナーの方への心からの感謝と移植を受けるためには人の死が存在することの重みを改めて実感しました。それは、私にとって非常に重く、形容しがたいものでした。

心停止後の移植なので、すぐには尿が出ず、1週間程度で徐々に腎臓が機能し、透析は術後3回で離脱しました。移植術による苦労はほとんどなかったのですが、30年以上使っていなかった膀胱は非常に小さく、排尿の管理にとても苦労しました。しばらくはオムツを使い、オムツが取れてトイレに行くようになって実感したのは、透析生活の中で「オシッコ」に行く習慣がなかったことでした。38日間の入院後、退院、職場復帰をしましたが、しばらくはトイレに苦労する日々でした。
術後、大きなトラブルはなく、薬の服用、食事管理(食べ過ぎないよう)、血圧管理、体重管理、感染予防など透析のころと変わらない自己管理を行っています。外来受診は術後は月に1回でしたが、4年経った現在は2か月に1回のペースになっています。
ドナーの方をはじめ多くの方のご支援で献腎移植を受けることができたことに感謝し、私も何かしらの形で社会への還元ができればと願っています。